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(〜高麗の人相見が、光君を占う。帝は光君を臣下に下すことを決心する。)
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(藤壺の宮の入内〜)


桐壷の更衣
〜帝のご寵愛

第1帖 「桐壷」

 いつごろのことだったかしら、帝のもとに、女御や更衣がたくさんいらっしゃる中に、それほど身分が高いわけではなくて、とても帝に愛されている女性がいました。(彼女は、桐壷(淑景舎)に住む更衣だったので、桐壷の更衣と呼ばれました。)
 入内したての頃から、「私こそ帝の愛を受けるに違いないわ!」と思い上がっていた他の後宮の女性たちは、彼女を目障りなヤツだな・・・と思って、軽蔑し、嫉妬心をむき出しにしていました。まして、桐壷の更衣と同じ身分の更衣たちや、それより身分の低い女性たちは、「なんで彼女だけが・・・」と、心中穏やかではありませんでした。桐壷の更衣は、朝夕の宮仕えの時も、人に気をもませることになり、自然と恨みをかって、それが積もりに積もって、重病にかかってしまいました。でも、そうなると帝は、はかなげに里帰りしている桐壷の更衣のことがますます愛しくなって、人が何と言おうとおかまいなしで、歴史にでも刻まれそうなくらいの惚れ込みようでした。
 上達部・殿上人達も、見て見ないフリをして、「ホントにまぶしい程の愛されようだよな」「中国にも、こんなことが原因で国が乱れたりしたことがあったんだよな」などと、みんなの悩みのタネになって、楊貴妃の例まで引き合いに出されそうになっていくのを、桐壷の更衣は、「身分不相応なのに・・・」という気持ちでつらいけれども耐えていました。それというのも、やっぱり、帝がもったいないくらいに愛してくださるからで、それだけを心の支えに、交際をしていました。
 桐壷の更衣は、お父さんの大納言が亡くなってしまって、その後は、お母さんが、けっこう昔の名家の出で、ちょっと品もある人だったので、両親が揃っているような、権勢の盛んなお嬢さん方に劣らないように、いろいろな儀式をこなしていました。でも、桐壷の更衣には、しっかりした後見人がいないので、なにかという時には、やっぱりちょっと心細い感じでした。

光源氏の誕生  前世でも、二人はきっと関係が深かったのでしょう、なんと、とっても美しい男の子を授かりました。帝は、「まだかな、まだかな・・・」と、待ち遠しくて、生まれると、ソッコーで自分のところに呼び寄せて、赤ちゃんをご覧になると、もう、本当に珍しいくらいにかわいらしい赤ちゃんなのでした。
 実は、1人目の子供は、右大臣の女御(弘徽殿の女御)が産んでいて、期待も大きく、「当確の皇太子」って感じで、もてはやされているけれど、このあかちゃんの気品とかわいらしさには、かなうわけがありません。だから、一人目の子も、まぁ、いちおう人並みにかわいがってはいるけれど、この子のことは、もう目に入れてもいたくないような感じで、かわいがりまくっていました。

弘徽殿の女御  桐壷の更衣は、本来は、帝のお側にずっとひかえてお仕えするような身分ではないんです。そういうのは、典侍とか、ちょっと身分の低い女性の仕事ですから。いちおう貴人としての扱いをされていたけれど、帝が分別もなくそばに置いてばかりいたし、何か、管弦の遊びとかがある時には、まっさきに桐壷の更衣を呼んだりとか、ある時なんかは、桐壷で寝坊してしまって、日も高くなってから清涼殿に帰ってきたのにもかかわらず、またすぐに更衣を呼んで、ずっと一緒にいたり・・・。こんな風に、めったに離れることなくべったりで、ずっと帝の御前に仕えているような状態だったから、自然と、身分が軽々しく思えたりもしたのだけど、この赤ちゃんが生まれてからは、帝は心をいれかえて、桐壷の更衣の品位が落ちないように、心がけるようになったので、その様子を見て、弘徽殿の女御は、「春宮にもひょっとして桐壷の息子がなるんじゃないかしら・・・」と、疑わしく思うようになりました。弘徽殿の女御は、いち早く入内した人で、他の人よりは大切に思っているし、子供もいるし、・・・そんなわけで、帝は、弘徽殿の女御がチクチク言うことにだけは、「うっとうしく、めんどくさいなぁ・・・」と思っていたのでした。
 もったいないくらいの愛だけを頼りにしている、とは言っても、悪口を言われたり、欠点を探し出して指摘したりするような人も多くて、自分の身はかよわいし、なんか頼りなげだし、かえって、物思いが増えてつらいなぁ・・・と、更衣は思っているのでした。更衣の御局は桐壷でした。
ライバル達の意地悪  たくさんの女性の部屋の前を通って、毎日のように帝のもとへ行く桐壷の更衣に、他の女性達は気を揉むのも無理はありません。帝のもとへ行く日が、あまりにも続く時には、打橋や渡殿のあっちこっちに、汚いものをまいていやがらせをしたりして、送り迎えに付き添う人の着物の裾がめちゃくちゃに汚れてしまったこともありました。また、ある時は、どうしても通らなきゃならない道の戸を、入り口の方と、出口の方で、打ち合わせをして、閉めてしまって、桐壷の更衣たちを困らせて、つらい思いをさせられるようなこともありました。なにかっていうと、数え切れないくらい、苦しいことばっかりなので、桐壷の更衣は、「もうやだなぁ・・・」と、思えてきたのだけれど、帝は「あぁ、ますます愛しい!」と思ったらしくて、清涼殿のすぐそばの後涼殿に、もともといた更衣の部屋をほかに移動させて、そこを更衣の上局としてあげることにしました。後涼殿から追い出された更衣の恨みと言ったら、もう誰にぶつけようもないし、やるせないものでした。

袴着の式  この子が3歳になった年に袴着の式を、最初の子(一の宮)の時に劣らないように、蔵とかのあらゆるものを尽くして素晴らしく執り行いました。そのことについても、世の中からの非難がすごいけれど、この子が見た目も、仕草とかもかわいく成長していく様子が、ちょっと他にはないくらいなので、みんなも、あんまり強くは言えないのでした。ちょっとインテリっぽい人たちは、「こんな人もこの世に生まれてくるのだなぁ」と、目をパチクリさせてみっともないくらい驚いているのです。

愛しさのあまり、病気の更衣を退出させられない帝  その年の夏、桐壷の更衣は消えいりそうなくらい体が弱って、里帰りしたいって帝にお願いしたのだけど、帝は聞き入れてくれませんでした。最近、具合の悪いのも毎度のことって感じになってしまってたので、もう見慣れてしまって、「まぁ、もうちょっと、寝てれば治るでしょ」なんて言っていました。でも、そうしている間に、日に日に容体が悪くなっていって、5・6日もすると、もうあまりにも弱々しく、今にも死にそうな感じになってしまったので、桐壷の更衣のお母さんが、涙ながらに帝に頼みこんで、やっと家に連れて帰ることになりました。自分のことだけで精一杯っていうこんな時でも、桐壷の更衣は、「恥をかかせるようなことなんかがあったら困るから・・・」と、気を遣って、息子を内裏に残して、お忍びで里帰りをしようとするのでした。いくら引き止めると言っても限界があるから、あまりしつこく桐壷の更衣を引き止めることもできないし、しかも立場上見送ることもできないという帝のもどかしい気持ちは、言葉にできないほどのものでした。いつもだったら、艶っぽい美しさがあってかわいらしい人なのに、すごくやつれて、「何もかもいとあはれ・・・」なんて感じでブルー入って、帝に何か言うでもなく、消え入りそうなくらいはかなげになっている桐壷の更衣・・・。そんな彼女を見ていると、帝は、後先のことも考えずいろんなことを泣きながら誓ったりするのだけど、彼女は答えることもなく、目元とかもいかにもだるそうで、なよなよして、もう「私は誰?」っていうような感じで横になってるので、「あぁ、僕はどうしたら!?」と、帝はただオロオロするばかり。いちおう「手車の宣旨(「手車」は人の手で引くようにした車。それに乗って、内裏に出入りしていいですよ、という宣旨。通常は大臣、春宮級の人に許される。)を出してはみたものの、桐壷の更衣の部屋に来れば、やっぱりダメで、帰らせてやることができないのでした。
更衣、いよいよ退出…。  「『限りある命だけど、後に残していったり、先に逝ってしまったりなんてしないよね。』って、約束したのに、僕を後に残していくなんて、できないでしょう?」
と、帝が言うのを、桐壷の更衣も「あぁ、なんて悲しいのかしら」
と見つめながら
「『かぎりとて別るる道の悲しききいかまほしきは命なりけり』
(今を限りに・・・って死に別れて、一人歩んでいく死出の道はあんまりにも悲しい
から、命が延びてくれたらいいのに。)
本当に、こんなことになるって分かってたなら・・・最初からあなたと恋に落ちたり
は・・・」
とか、息も絶え絶えな様子で、何か言いたげな様子です。でも、ほんとに苦しくてつらそうなので、「このまま、死んじゃうなりなんなりの結末を、僕が見取ろうか・・・。」と、思ってたところに、
「今日、ご実家の方で、始めることになっている祈祷の準備が整いました。さっそく今夜から始めるとのことです。」
と、使いの人が来てせかすので、まだ割り切れない気持ちのまま、仕方なく桐壷の更衣を、実家に帰してやりました。帝は胸がいっぱいで、一睡もできないで、夜をどうやって明かしたものか・・・という感じです。
更衣の実家へ行かせている使いの人が、まだ戻ってこないので、状況も分からないというのに、「どうなったかなぁ? 心配だなぁ」と、ずっと言い続けているのでした。

更衣は亡くなり・・・その後。  「真夜中を少し過ぎた頃に、お亡くなりになりました。」と、桐壷の更衣の家の人たちが泣き騒いでいる様子なので、使いの人もどうしようもなくて、内裏に帰って来ました。彼女の死を告げられた帝の戸惑いようといったら・・・。何もかも分からなくなって部屋にこもってしまいました。それでも、光君のことは、本当はそばにおいて見てたいのだけど、光君がこんな時に内裏にいるっていうのもヘンなので、更衣の実家の方に行かせることにしました。光君は、「何かあったんだ」と思う様子でもなく、その辺の人たちが泣いたり、オロオロしたり、お父さんの帝も涙がポロポロこぼれ落ちたりしているのを、ただ「ヘンなの」と思ってただけでした。別に悪いことじゃなくたって、光君と離れることは淋しいのに、ましてこんな時に、そんなあどけない光君の様子を見ると、帝は、何とも言いようがないくらい悲しさが込み上げてくるのでした。
 限りのあるものだから、いつまでもそのままにしとくわけにもいかないので、通常の段取りを踏んで、更衣を葬りました。更衣のお母さんは、「私もあの娘と同じ煙になって、天に昇ってしまいたい」・・・と泣いて願いました。女房の車に乗って、愛宕(おたぎ)という葬儀場に行き、そこでおごそかに葬式を執り行っているところに着いた時のお母さんの気持ちはどんなだったでしょう。「むなしい姿になってしまった更衣の亡き骸を見ても、まだ『生きてるようだ』と思えるけど、そんなこと言っても無駄なのよね。だから、あの娘がちゃんと灰になるのを見届けて、『もう死んでしまったんだ』って、ひたすら思い込むしかないのよね」・・・車の中では、そんなしっかりしたことを言っていたのでした。でも、そう言いながら、車から落っこちるかと思うほど動揺しているようだったので、「だから言わんこっちゃない!」と女房たちは、やっぱり手を焼くハメになったのでした。
 内裏から使いの人が来て、「桐壷の更衣に三位の位を贈ります」と、宣命を読むのだけど、それがまた悲しさも倍増で・・・。帝は、彼女を結局「女御」にもしてやれなかったことが、すごく心残りで無念なので、せめてもう一階級、位を上げてやりたい、ということで位を贈ったのでした。こんなことも、また桐壷の更衣を恨む女たちが増えてしまうことになるのだけど。それでも、女性たちの中でも、バカじゃない人だったら、「彼女、ルックスや雰囲気はけっこうイケてたし、性格も穏やかで、人当たりがソフトだし、憎めないトコがあったのよねぇ・・・」なんて、死んでしまった今となっては、思ったりもするのです。「帝があんまりにも、人目も何も気にせずにベタベタしてたから、彼女に対して、冷たくしたり、妬んだりしたけどさ・・・」と、帝に仕える女房たちも、桐壷の更衣が、性格もよかったし、けっこう情愛に満ちた人だった、と、懐かしんで恋しく思っていました。まさしく「なくてぞ人の恋しかりける(亡くなった人は恋しいものだなぁ)」って感じです。

帝、靭負の命婦を桐壷の実家へ使いに出す。  むなしく数日が過ぎて、その後の法事とかの時も、帝は心をこめてお悔やみを申し上げます。月日が経つにつれて、帝はどんどんやるせなく悲しい気持ちになって、他の女性たちのところへのお泊まりもパッタリとしなくなって、ただひたすら涙、涙・・・。昼も夜も泣き暮らしていたので、そんな帝を見ているだけで、周りの人たちもブルーな秋なのでした。
 「死んだ後でも、まだムカムカさせるのよね、あの女の愛されようったら!」
とか、弘徽殿の女御なんかは、いまだにプンプンしながら言っています。それなのに、帝は、一の宮を見てる時でさえ、「光君のことが恋しいなぁ」なんて思い出したりして、身近な女房とか乳母とかを、光君の所へ使いにやって、様子を聞いたりしているのです。
 野分が吹き、急に冷え込んだ夕暮れ時、帝はいつも以上に、桐壷の更衣のことを思い出すことが多くて、靭負の命婦という人を桐壷の更衣の実家に使いにやりました。いい感じの夕月夜になってきたナ、って頃の時間帯に、内裏を出発させて、自分はそのままボーっと物思いにふけっています。
「こんな夕月夜には、みんなで管弦の遊びなんかをして・・・それで、彼女の琴をかきならすのは、もう格別にイイ音で、僕にそっと話しかけるコトバも、他の女性達とは違って・・・」
 彼女の面影が、帝の心と体にぴったりと寄り添うように感じられるのだけど、それは「闇のうつつ」にはやっぱりかなわなくて、つまり幻にすぎないのです。
 さて、命婦は、桐壷の更衣の実家に到着して、門から入っていくと、実家の様子は、とてもしんみりしていました。桐壷の更衣の母君は、一人暮らしでしたが、桐壷の更衣のことを立派にバックアップしていこうという気持ちで、いろいろ取り繕って、見栄えの悪くないようにして暮らしていたのですが、娘の死んでしまった後は、すっかり沈んでしまって、伏せっているうちに、雑草が伸び切って、野分の風のせいもあって、よけい荒れ果てた感じです。ただ月明かりだけが、背の高い草にもジャマされずに、家の中に差し込んでいます。
 南面の部屋で、母君は命婦と対面しましたが、すぐには何も言葉が出てきません。やっとのことで話し始めます。
 「今までこうして生きているのがとてもつらく、悲しいのです。こんな風に、帝のお使いの方が、草を分け、草の露を踏んでいらっしゃるなんて、本当に恥ずかしくて・・・・」
と、本当に耐えられない、って感じで、泣いてしまいます。
 命婦は、「この間、内侍が『母君のところに行ってまいりましたが、とても痛々しくて、向き合っていると、こちらの心も肝も消え入りそうなくらいでした』と帝に話していましたが、私みたいなムズカシイことはよく分からないような人間でも、ホントにこらえがたいものがあります・・・」
と言って、少しためらいがちに帝からの伝言を伝えます。
 『何度も何度も、夢だとばかり思っては途方に暮れていましたけど、だんだん心が落ち着いてきたら、覚めることのない夢、・・・つまり現実なのだと分かってきました。耐えられないのは、「どうしたらいい?」と相談する相手もないってことで・・・。だから、母君はお忍びでこちらに来てくれませんか? 光君がまだ小さくて、これからって時に、草露と涙でシメっぽい所で育つのも、どうかと思うので、ぜひぜひお二人で早くいらっしゃい。』
 と、帝はしっかり最後まで言うこともできないくらい、泣いてしゃくりあげて、「こんなところを人が見たら、きっと心の弱いヤツだと思われるんだろうな」なんて、そんな余計な心配までしてるところが、あまりにも見てられないほどせつなくなって、伝言を最後までしっかり聞かないうちに、内裏を出発してきたのです。」
と、帝からの手紙を母君に渡しました。

帝の手紙を読んで、母君は・・・。
 「悲しみのあまり、涙で目もよく見えませんが、このようなありがたいお手紙を光と思って、読むことにしましょう。」
と言って、手紙を読みました。
 「『時が経てば、少しは悲しみも紛れていくこともあるかも・・・』と思って、そうなる時を待ちつつ過ごしてきましたが、月日が経つにつれて、こらえきれない悲しみがわきあがってくるというのは、おかしなものですね。幼い光君はどうしているかな、と思うと、それと同時に、光君が片親になってしまって、両親のそろった環境で育てていくことができなくなってしまったことが不安で・・・。でも、母親が亡くなった今となっては、やっぱり私を桐壷の更衣の忘れ形見と思って頼って、ぜひ内裏にいらっしゃってください。」
などと、いろいろこまごまと書いてありました。最後に
 『宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ』
 (宮中を吹き渡る涙まじりの風の音を聞くと、小さい光君のことが思われます。)
と、書いてあるけれど、母君は胸がいっぱいで最後まで読むことができませんでした。そして、
 「『長生きすることの辛さを思い知った』とか言いながら、まだ生きているのか、と思われるのも『高砂の松の思はんことも恥ずかし(古今・松の木におもわれることさえ恥ずかしい)』という気持ちですから、まして、内裏に行くことなんて、とんでもないことのように思われます。ですから、もったいないお言葉をたびたび頂いていますけれど、私の方はとても行くことはできません。でも、帝には、『光君はどういうわけか、早く内裏に行くことばかり考えているようで・・・。まぁ、それももっともですから、私もそんな光君を見ていると、かわいそうな気もします。』とでも、内々に伝えてください。私は、娘を亡くした、あまりエンギのいい身ではありませんので、そんな私のもとに、光君がこんな風にいるっていうのも、何かさしさわりがあるようにも思いますし、おそれ多いことのようにも思いますし・・・。」
 と、母君は言いました。光君は、もう寝てしまっているのでした。
 命婦は、
 「光君と会って、様子なんかも詳しく帝にお話ししたいと思っていたのですが・・・。帝も私の報告を待っていると思いますので、これで失礼します。夜も更けてしまいますので・・・。」
と言って、急いで帰り支度を始めました。
 母君は、
 「子を思う道に『くれ惑う心の闇(後撰)』に耐え難くて、そのホンの一部分だけでも晴らせるように、あなたに話を聞いていただけたら、と思います。今度、プライベートでも、のんびり遊びにいらしてください。最近はずっと、あなたは嬉しい知らせや、名誉な知らせがある時に来ていただいてたのに、こんな暗い話でお目にかかるなんて、やっぱり長生きなんてするもんじゃないわね。娘・・・桐壷の更衣は、生まれた時から、私達親にとっては期待の子で、主人、故大納言は、死ぬ間際まで、ただただ『この子に宮仕えをさせるという夢を必ず実現させてくれ。私が死んだからと言って、くじけてあきらめたりするな』と、何度も私に言い聞かせて逝ったのです。私は、『そうは言っても、しっかりしたバックもついてないのに、社交界に出るというのは、なかなか難しいのに・・・』とは思いつつ、主人の遺言を守ろうという一心で、娘を入内させたのです。でも、娘は、身にあまる帝の愛を受けて、何につけても、もったいなく、おそれ多いので、人間扱いしてないような仕打ちにも耐えて、宮中の社交界でなんとかやっていたようですが、他の女性たちの嫉妬が娘の上に積もりに積もって、心がおだやかでいられることがなくなって、しまいには、こんな風に亡くなってしまいました。だから、帝のありがたいお気遣いも、かえって私にはつらく思われるのです。これもどうしようもない『心の闇』というもので・・・。」
 と、言い終わらないうちに、涙がこみあげてしまいます。そうしているうちに夜も更けました。

 命婦は、
 「帝もそうおっしゃっておりました。『自分の心のコトながら、あんなにも一途に、周りの人もびっくりするくらいに愛してしまったのも、先が長くなかったのだなぁ・・・と、今はかえって、彼女の想いも辛く感じられるのです。私は今までに人の気分を害するようなことをした覚えはない、と思っていたのに、ただ彼女との一件で、多くの、かわなくてもいい恨みをかって、結局最終的には、こんな風に桐壺の更衣に捨てられて・・・心を落ち着けようにも、どうしたらいいかわからないので、こんなにひねくれた頑固者になってしまったのも、これも前世からの何かの因縁だというのか・・・それを知りたいよ。』と、何度も繰り返し言っては、暗く沈んでおられます。」と言って、なかなか、話は尽きません。泣く泣く、
「夜もすっかり更けてしまったので、今晩のうちに、帝にお返事を伝えることにしましょう。」
と、急いで帰って行った。

命婦、母君の元を退出する。 月はもう沈みかけて、空はすっきりと澄みわたり、風がとても涼しく吹いています。草むらの虫たちは、いかにも涙を誘うような声を響かせています。そんな雰囲気なので、命婦はとても立ち去りにくく感じるのでした。
 『すず虫の声の限りをつくしてもながき夜あかずふる涙かな』
(鈴虫のように、声の出し尽くして泣いても、この長い夜を夜通し、よくもまぁ、私の涙は飽きることもなく、流れ落ちるもんだなぁ・・・)
 命婦は、そう詠んで、車に乗ることもなかなかできないでいます。
 「『いとどしく虫の音しげき浅茅生(あさじふ)に露おきそふる雲のうへ人』
(ただでさえ虫の音(悲しみの涙)が止まらない浅茅の生えた草ぼうぼうの私の住まいに、雲の上(宮中)の人(=命婦)がいらっしゃったせいで、ありがたいやら、嬉しいやらで、ますます涙が止まりません。どうしてくれるの?)
 グチの一つも言いたくなります・・・。」
と、母君は、女房づたいに命婦に言いました。趣向を凝らした贈り物などをするには、ふさわしくない時なので、ただ、「彼女の形見に・・・」と、こんなこともあろうかと母君がとっておいた桐壺の更衣の着物一式に、髪をとかす時に使う道具のようなものを添えて、帝へのおみやげとします。
 若い女房たちは、桐壺の更衣が亡くなって悲しいことは言うまでもないのですが、それに加えて、今まで、宮中みたいな華やかな場所で朝から晩まで暮らしなれていた人は、このさびれた暮らしに、何とも言いようのない物寂しさを感じていて、帝のことを思いだしては噂して、光君が早く参内するように、母君に勧めています。でも、母君は、
 「こんなエンギの悪い身の私が光君に付き添うっていうのも、人聞きが悪いでしょう。でも、少しでも光君に会えないというのは、とても気がかりで・・・」
と言って、スッパリと参内させる決心ができないでいるのでした。
命婦、内裏に帰って、帝に様子を報告する。  命婦が内裏に戻ってみると、帝はまだ眠れないでいたので、「かわいそうに・・・」と思いました。帝は、部屋の前の中庭の植木が、けっこういい感じで花盛りなのを見つめながら、奥ゆかしくて上品な感じの女房を4、5人そばにいさせて、静かにお話をしているのです。この頃、一日中見ている『長恨歌』を描いた絵・・・亭子院が絵を描いて、伊勢や紀貫之が詠んで絵に添えられた和歌や漢詩・・・そういうもののあらすじを、いつもの口癖のように喋っています。
 命婦が戻って来たのに気づくと、帝は、どうだったかと様子をくわしく聞いてきます。命婦は、実家は寂しげで母君が気の毒であった事を、しんみりと話しました。そして、母君からの返事を見ると、
 「帝のお気持ちはとてもおそれ多いことで、身の置き所もないくらいです。このようなお言葉をいただきまして、ますます心も暗くなるような、取り乱した気持ちになりました。
 『荒き風ふせぎし蔭の枯れしより小萩がうへぞしづ心なき』
(荒い風を防いでいた木が枯れてしまったかのような、更衣の死・・・。小萩(光君)の身を心配して、心が安まる時がありません。)」
こんな風に、ちょっと取り乱した手紙でしたが、「きっと気持ちに収拾がつかなかったのだろうな・・・」と思えば、帝も許せるのでしょう。だって、自分でも「絶対こんな取り乱した様子を見られちゃいけない」とは思って、心を静めているけど、少しも隠していられないのですから・・・。桐壺の更衣に初めて出逢った頃の思い出までかき集めて、いろいろと彼女のことばかり思い続けて、「あの頃は、一瞬でも離れていると、気になって仕方がなかったのに。こんな風にずっと会わなくても時は過ぎていくもんなんだなぁ・・・」と、不思議に思っています。
 「母君が故大納言の遺言に従って、桐壺の更衣を宮仕えさせるという夢を貫いて、実現させてくれた・・・そのおかげで私達は出会えたのだから、そのことに対するお礼は、それなりの価値のあることをぜひしてあげようと、ずっと思ってきたのに・・・。今は・・・言ってもムダってことか。」
と、帝は言って、母君のことをとても気の毒に思うのでした。そして、
 「まぁ、そうは言っても、光君が成長してくれば、自然と時が熟して、気持ちも変化してくるだろうよ。母君には、ぜひ長生きすることを考えていてほしいね。」
と言うのでした。
 命婦は、例のおみやげの品を帝に見せました。すると、帝は、
「『長恨歌』に出てくる『しるしのかんざし』・・・楊貴妃が亡くなって、悲しみにくれる玄宗皇帝が、幻術師に、楊貴妃の魂のありかを尋ね出せ、と命令して、その幻術師がそれを実現して、証拠に楊貴妃の金のかんざしを持って帰って来た、っていう話・・・。ああいうのだったらなぁ・・・。」
と、思いましたが、どうしようもないことです。そして、帝はこんな歌を詠みました。
 『尋ね行くまぼろしもがな伝(つて)にても魂(たま)のありかをそこと知るべく』
(彼女の魂のありかを尋ね出してくれる幻術師でもいないものだろうか。幻術師づてにでもいいから、彼女の魂のありかを知りたい・・・)
 絵に描いた楊貴妃の姿は、どんなにすばらしい画家でも限界があるので、あの気品や匂い立つような美しさを再現することはできません。太液池(たいえきち)の芙蓉の花や、未央宮(びようきゅう)の柳の枝にたとえられる楊貴妃が、中国風の衣装でキメた姿は、それはさぞ美しかったでしょう。でも、帝は、桐壺の更衣の「ずっとそばに置いときたい!」っていうようなかわいらしさを思うと、花や鳥、・・・色にも音にも、何にもたとえることなんてできないのです。朝晩、口グセのように、『天にあっては比翼の鳥、地にあっては連理の枝(長恨歌)』と、ずっと二人一緒にいることを約束していたのに、それがかなわなかったのだから、桐壺の更衣の短かった命が恨めしいことといったら!

悲しみにくれる帝・・・。弘徽殿の女御、そしてそば仕えの者たちは・・・。  風の音を聞いても、虫の声を聞いても、帝は見るものすべてが悲しげに思えてくるっていうのに、弘徽殿の女御は、もうずっと帝のお部屋に行くこともなく、月がいい感じに出てる夜だから、っていうので、夜中まで管弦の遊びをしています。「こんな時だっていうのに・・・。あきれたもんだ」と、帝は聞こえてくる音にムカついています。最近の帝の様子をよく知っている殿上人や女房たちも、その管弦の音を苦々しい思いで聞いているのでした。
 弘徽殿の女御は、自己中タイプで、どことなくトゲがある人で、帝が悲しみにくれているのも、おかまいなし、って無視して、宴会なんかやっているのでした。・・・そうこうしているうちに、月も雲に隠れてしまいました。
 『雲のうへも涙にくるる秋の月いかですむらん浅茅生の宿』
(宮中にいる私の目にも、涙で曇って見える秋の月。まして、あの浅茅生の宿にいる母君には、どうして澄んで見えるだろうか。きっと、私以上に曇って見えるのだろうな・・・。)
帝はそう詠んで、母君のことなど、思いながら、明かりを灯す燈心(とうしみ)が燃え尽きても、まだ眠れずに起きています。右近の司の、宿直交代の挨拶をする声が聞こえてくるということは、もう夜中の1時ということでしょう。
 帝は、人目を気にして、いちおう寝室には入ったけれども、うとうとすることさえできませんでした。朝、起きはしたものの、『明くるも知らで(続後拾遺)』という感じで、桐壺の更衣のことを思い出しています。朝のおつとめもサボるようになってしまいました。あまり話もしなくなって、朝ご飯も、形だけ手をつけるだけ・・・、まして、仰々しい昼食会のことなんかは、帝の意識からはすっかり離れてしまったので、配膳係の人たちは、帝のかわいそうな様子を見ては、他の人たち以上に悲しんでいるのでした。
 帝のそばでお仕えしているすべての人たちは、男も女も、「まぁ、どうにもしようのないことだ・・・」と、言い合っては、ため息をついています。
 「桐壺の更衣とはこうなるのが帝の運命だったんだ。」
 「その辺の人が、イヤミを言おうと、ネタミを言おうと、帝は全然気にしないで、この一件に関しては、ドーリもドートクも関係ない!って感じだったのに、桐壺の更衣は、こんな風に、帝も、世の中も、捨てるかのように去ってしまうなんて・・・」
 「本当にうまくいかないもんだな。」
と、みんな、よその国のことまで引き合いに出して、ひそひそ話し合っては、ため息をもらしています。

いよいよ、光君、参内する。  月日が過ぎて、光君が内裏にやって来ました。光君は、この世のものとは思えないくらい、気高く美しく育ったので、帝はちょっと不吉な感じさえしました。翌年の春、春宮(=皇太子)を決める時にも、帝は、「この子を・・・一の御子(=第一皇子・弘徽殿の女御の息子)より上にしてあげたい」と思ったけれど、光君には、しっかりしたバックもついていないし、世間も承知しないだろうから、かえってヤバいことになりかねない、と思い、やめておくことにして、そのことは、顔色にも出さないようにしていました。だから、世間の人たちは、「あんな風に帝は光君をとってもかわいがってはいるけど、やっぱり限度があるわよね」と噂して、弘徽殿の女御も一安心したのでした。

母君の死。  あの母君・・・光君のおばあさんにあたる方は、慰めようもなく、沈みきって暮らしていて、「娘のいる所へ、尋ねて行こうかしら・・・」といつも願っていたおかげ・・・というのだろうか、ついに、亡くなってしまいました。帝は、また悲しく思って、キリがありません。光君も、もう6歳になるので、お母さんが亡くなった時と違って、おばあちゃんが亡くなったのだということが理解できて、恋しがって泣いています。母君は、「長い間仲良く一緒に暮らしてきたのに、死んだらあなたを置いていくことになるのは悲しいわ」と、いつも源氏に言い聞かせていたのでした。
 おばあちゃんもいなくなってしまったので、光君は内裏にばかりいます。7歳になったので、読み書きなんかも習い始めました。それがまた、世間に類をみないくらい賢いので、帝はコワイくらいに思うのでした。
 「こうなった今は、誰だって光君のことを憎むなんてこと、できないだろう。いくらこの子の母親がキライだって、亡くなった後くらい、かわいがってあげたら?」
と、帝は、弘徽殿へ行くときも光君を連れて行って、そのまま御簾の中へ入れてしまうのでした。勇ましそうな武士でも、もしそれが敵や、仇(かたき)であっても、光君を一目見れば、思わず笑顔がこぼれてしまうようなかわいい様子をしているので、帝も光君を一時も離さないのです。
 帝は、弘徽殿の女御との間にも、二人の女の子がいるけど、光君とは比べものになりませんでした。
 帝のそばにいる女御や更衣たちも、光君に対しては、普通の男の人を相手にするのとは違って、恥ずかしがって隠れる、なんてこともしません。まだ小さいのに、理知的で、かっこよくて、コドモだからってバカにできない・・・そういう遊び相手だと、みんな思っています。
 基本的なお勉強の方はもちろんのこと、琴や笛を演奏すれば、その音が雲の上まで響きわたるようだし・・・全部書こうとすると、大げさで嘘っぽいと思われそうだけど、ホントにそういう子なのです。

高麗の人相見が、光君を占う。帝は光君を臣下に下すことを決心する。  その頃、高麗(今の朝鮮)の国の人が来日していた中に、いい人相占い師がいるという噂を、帝は耳にしました。占い師なんかを宮中に入れることは、宇多帝(昔の帝)の頃から禁止されているので、超お忍びで、光君を鴻臚(こうろ)館という、その占い師の宿泊している館へ行かせました。占い師には、光君の後見人みたいな存在である右大弁の息子だということにして、右大弁が連れて行きました。占い師は、光君を見て、驚いて、何度も首をかしげて不思議がっています。
 「国の親・・・つまり、帝か、皇后か、または帝の親になるか・・・、とにかく、いちばん高い位までのぼりつめる相が出ておりまする・・・。でも、そんな風に解釈すると、この子も、心が乱れるし、悩んでしまうでしょう。まぁ、朝廷の中心人物となって、天下を治める補佐をする、という風に解釈すれば・・・う〜む、それも違う・・・。」
 と、占い師は言いました。右大弁も、けっこう賢い博士なので、占い師と話した内容は、とても興味深いものでした。
 その後も、詩を作り合ったりして、お付き合いをしていたのだけど、今日明日のうちに高麗へ帰る、ということになったので、「光君のような、世にも珍しい人相の方にお会いできたことは喜ばしい、・・・でも、かえって、その分だけ別れが悲しい・・・」という気持ちを、うまくまとめていい感じの詩を作って送ってきました。そこで、光君も、とてもうまく詩を作ってお返事をしたので、占い師は、すごくすごく褒めて、光君にすばらしい贈り物をするのでした。朝廷でも、占い師に対しては、たくさんの贈り物をしました。
 帝は一言ももらしてはいないのだけど、自然と噂が広がって、春宮のおじいさんの右大臣なんかは、「どういうことだろう? まさか・・・」と、疑いのまなざしを向けています。帝には、深い考えがあって、以前に日本流の人相占いで光君を占ってもらったことがあって、実は、今度の高麗の占い師が言うことにも思い当たるフシがあったので、今まで、光君を、親王として認めることもしないでいたのでした。「あの高麗の占い師は、立派な占い師なんだよな・・・」と思うと、やはり、「認めたとしても無品親王だし、外戚(母方の親戚)とかのバックアップもあんまり期待できないから、光君をただ困らせるだけになりそうだな。私の御代だって、いつまでって決まっているわけではないし、親王なんかにならずに、臣下の人間として、朝廷の補佐をする方が、彼の将来も安泰ってもんだろう」と、考えて、ますます、光君にいろんな方面のことを習わせるのでした。
 光君は、並外れて賢くて、臣下の人間としてしまうには、もったいないのだけど、だからと言って、親王にでもなったら、春宮にでもするんじゃないかって、あらぬ疑いもかけられるだろうし、宿曜の占いに詳しい人に聞いても、帝の考えに賛成だというので、「源氏」という姓を与えて、臣下に下すことに決めました。

藤壺の宮の入内。  年月が経つにつれて、ますます桐壺の更衣のことを思い出さない日はありません。「気持ちも慰められるかも・・・」と、帝は、それっぽい女たちを呼び寄せてはつき合ってみるけれど、「桐壺の更衣みたいな人は、なかなかいないんだなぁ・・・この世には」と、女も何もかも、うっとおしいとしか思えなくなってしまいました。
 そんな時、すごく美人でいい女だと、評判が高い、前の帝の四の宮(四女)という女性がいました。その人の母君もすごくかわいがっている娘なのです。帝に仕えている典侍(ないしのすけ)は、前の帝の時から内裏に仕えているので、その母娘の家へもよく行ったりしていて、四の宮を小さい頃から知っています。最近でも見かけることがあって、
「亡くなった桐壺の更衣に似てる人なんて、三代の帝にお仕えしてもお目にかかれなかったけど、前帝のお后さまの娘の姫君は、成長するにつれて本当によく似てきてますよ。あれだけの女性はめったにいませんよ。」
と、帝に言いました。帝は、ちょっと気になって、丁重に入内を勧めてみました。
 「まぁ、恐ろしい! 春宮のお母さんって人がすごい意地悪で、桐壺の更衣があんなに露骨にイジメられて亡くなったって例もあるのに・・・エンギでもない!」
四の宮の母君は、そう思って、入内をきっぱり決断しないでいるうちに、亡くなってしまいました。
 四の宮は、心細そうにしていたので、帝は、
「ただ、私の娘になると思って来ればいいんだよ」
と、ふたたび優しく言ってあげました。四の宮にお仕えする女房たちや、後見人の人たち、お兄さんである兵部卿の宮などが、「こうして寂しく暮らしているよりは・・・」「内裏に住めば、気持ちも慰められるのでは・・・」と考えて、四の宮を入内させることにしました。「藤壺」という部屋(飛香舎)に住んでいたので、藤壺の宮と呼ばれます。本当に、姿も雰囲気も、不思議なくらい桐壺の更衣に似ているのです。この人は、身分的にも桐壺の更衣より高いので、周りの人のウケも良く、誰もイジメたり悪口を言ったりすることはなかったので、誰にも遠慮することなく堂々と振る舞うことができて、何の不満もないのです。桐壺の更衣の場合は、周りの人に許されない愛だったので、帝の想いも、かえって悪い結果を招くことになってしまったのでした。
 気が紛れて心変わりした、ってわけではないけれど、帝の気持ちも自然と動かされて、今までになく気持ちが安らいでいくのも、当然とはいえ、ジーンとくる話です。

源氏の君、藤壺の宮に幼いながら想いを寄せる。  源氏となった光君(以降、「源氏の君」)は、帝のそばを離れることはないので、もちろん、帝がしょっちゅうそばに呼んでいる藤壺の宮は、恥ずかしがって隠れているわけにもいきません。帝をとりまく女性たちはみんな、「私、ちょっと負けてるわ・・・」なんて思うわけなくて、まぁ、それぞれにイイのだけど、みんなちょっと年増であるのに対して、藤壺の宮はとても若くてキレイです。まだ若くて恥じらいもあるので、一生懸命源氏の君に見られまいと隠れているのだけど、自然と見かけることもあります。
 お母さんのことは何も覚えていない源氏の君だけど、「藤壺の宮はあなたのお母さんによくにているのよ」と、典侍が言っていたので、子供心ながら、「あの人、ステキだなぁ。いつもそばに行って、仲良くしていたいなぁ」と、藤壺のことを想っているのです。
 帝にとっても、二人ともこの上なく大切な人同士なので、
 「源氏の君には、よそよそしくしないでくださいね。不思議と、あなたのことをお母さんのように思っているみたいなんです。失礼なヤツだなんて思わないで、かわいがってやってください。あの子の母親は、顔立ち・・・目のあたりなんか特に、あなたとすごく良く似ていたから、あなたと源氏の君が親子に見えても、そんなに不似合いってわけじゃないし・・・」
と、藤壺の宮に言いました。それ以来、源氏の君は、子供心にも、ちょっとした花や紅葉のキレイな時などにも、心のこもったお手紙をしたりして、藤壺の宮にかなり想いを寄せているようなのです。それを知った弘徽殿の女御は、藤壺の宮ともあまり仲が良くなかったので、もともと源氏の君のことを憎らしいって思っていた気持ちが、フツフツとよみがえってきて、「むかつくー!」と思うのでした。

「光る君」と「輝く日の宮」。  「この世にまたとない!」と帝は言うし、藤壺の宮の美しさもとても評判が高いのですが、それにもまして、源氏の君の若々しい輝きを放つ美しさといったら、たとえようもなくて、世間の人たちは「光る君」と呼ぶのです。藤壺の宮は、源氏の君とならんで帝の愛も深いので、「輝く日の宮」と呼ばれました。

源氏の君、12歳で元服。  源氏の君の童(わらべ)姿を変えてしまうのはいやだなぁ、と、帝は思ったけれど、12歳で元服をさせました。帝は、元服式を自らシキって、限度のある儀式ではあるけれど、いろいろ膨らめて、盛大に行いました。一年前の、春宮の元服式が、南殿であった時の、とても立派で盛大だったという評判にまけないように、式の後の宴会のことについては、
 「内蔵寮や穀倉院は、公的行事だっていうと、手を抜くこともあるから・・・」
と、特別に指示があって、とにかく一流づくしで行ったのでした。
 帝のいる御殿の、東の廂の間に、東向きに帝の椅子をおいて、元服する人の席と、元服した印の冠をかぶせる役の大臣の席をその前に置きました。午後四時頃になって、源氏の君が式場に入って来ました。「みづら」という子供用のヘアスタイルや、顔のかわいらしい感じを変えてしまうのは、本当に惜しい気がします。大蔵卿が、髪をセットする係をつとめます。源氏の君のきれいな髪を切っていくのは、胸が痛む思いなのです。帝は、「彼女がこの姿を見たら・・・」と、桐壺の更衣のことを思い出して、耐えられない悲しみがこみ上げてきたけれど、グッとこらえて我慢するのでした。
 冠をかぶせる儀式が済んで、源氏の君は、休憩所へ行き、着替えをして、庭に下りて、儀式の一つである舞を踊りました。それを見て、みんな涙を流します。まして、帝は、とても涙をこらえることができません。桐壺の更衣のことは、最近では、気が紛れて忘れられることもあったのに、また思い出して悲しく思うのです。
 「こんな風に幼いうちに元服すると、見劣りするもんだ」と、帝は思っていたけど、源氏の君は、不思議と、前より愛らしくかわいくなったようです。

帝と左大臣、源氏の君と葵の上の結婚を決める。  元服式で、冠をかぶせる係をつとめた左大臣と、皇族である妻の間に、たった一人だけ、とても大切に育てた娘がいるのですが、春宮からプロポーズめいたことを言われても、父親として返事を渋っていました。実は、左大臣は、娘を源氏の君の嫁に、と考えているのでした。帝にも、内々に意見を聞いておいたので、「じゃあ、これといって後見人もいないようだし、添臥(そいぶし)として、元服式の夜を共に過ごす役をつとめさせよう」ということになりました。
 侍所(さむらいどころ)へみんなが集まって、お酒とかを飲み始める頃、皇子たちが座っている席のいちばん端に、源氏の君も座りました。左大臣は、今晩のことをさりげなく言ってみたけれど、まだ恥じらいのある年頃なので、なんとも返事をすることもできません。
 帝は内侍に命令して、左大臣を呼び出します。今日の働きに対する褒美の品が、命婦を通じて、左大臣に贈られます。白い大袿と着物を一式、・・・これはいつもと同じです。
 お酒を酌み交わしながら、
 『いときなき初元結に永き世をちぎる心は結びこめつや』
(あなたは、幼い源氏の君の元結(もとゆい)を結ぶ役をつとめたわけですが、その結びに、娘との仲が末永く続くように・・・という気持ちをちゃんと込めましたか?)
と、帝は、歌を詠みました。帝には、いろいろ考えて、左大臣に注意をうながすように言ったのです。
 『むすびつる心も深きもとゆひに濃き紫の色しあせずば』
(元結を結ぶときに、ギュっと気持ちも込めました。濃い紫色をした元結のヒモの色があせることのないように、・・・そして、源氏の君の心も変わりませんように・・・と。)
左大臣はそう言って、渡り廊下から庭へ下りて、舞を踊りました。帝はさらに、左馬寮(ひだりのうまづかさ)の馬と、蔵人所(くろうどどころ)の鷹を、その場に出させて、左大臣に贈りました。
 渡り廊下から庭へ下りる階段のそばに、皇子や殿上人が並んで、それぞれに褒美の品を受け取りました。その日の折り詰め料理や、カゴ入り菓子は、こないだ、例の高麗の占い師の元へ源氏の君が行った時にお供をした、右大弁が用意しました。宴会の席には欠かせない「とんじき(固いご飯で作ったおにぎりのようなもの)」や、褒美の品を入れる「唐櫃(からびつ)」とかが、置ききれないほど部屋いっぱいで、春宮の元服式の時よりもスゴイのです。どちらかといえば、こっちの方が盛大かもしれません。

葵の上との結婚。  その夜、源氏の君は、左大臣の家へ行きました。左大臣家では、結婚式のしきたりに従って、世にも珍しいくらい、大切に丁寧に、源氏の君を迎え入れます。源氏の君が、まだ子供っぽい顔をしているので、左大臣はとってもかわいいなぁ、と思って見ています。妻になる葵の上は、年がちょっといっちゃってるので、源氏がすごく若いから、「私と夫婦じゃ似合わないわ・・・。恥ずかしい」と、思っています。
 左大臣は、帝からもとても信頼されていて、しかも、葵の上の母親である左大臣の奥さんは、帝と同じお母さんのお腹から生まれた人なのです。そんなわけで、どこをとっても、華やかな地位にある人なのだけど、そこへさらに、源氏の君がこうして娘婿になったもんだから、春宮のおじいさんとして、ついに政治の実権を握った右大臣の勢いなんて、もののみごとにつぶされてしまいました。
 左大臣は、何人かの女性との間に、たくさんの子供がいます。葵の上のお母さんとの間に生まれた子で、蔵人の少将(後の頭の中将)といって、とても若くてかっこいい息子がいます。右大臣は、左大臣とは仲が悪いのだけど、このイイ男をしっかりチェックしてて、自分のかわいい娘である四の君を嫁にやったのです。そして、右大臣家では、左大臣家で源氏の君に対してそうであるように、蔵人の少将を大切におもてなししているのです。本来は、両家の仲が、いつもこのようであるといいんですけど・・・。
 源氏の君は、帝がいつもそばに置いているので、気楽に葵の上のいる左大臣家で過ごすこともなかなかできません。それに実は、心の中では、ただ、藤壺の宮のことを「ああいう人は他にいないなぁ。妻にするならああいう人がいいなぁ。でも、ホント、なかなかいないよ、ああいう人は。葵の上は、キレイだし、大切に育てられてきた人だとは思うけど、あんまり気が合わないんだよなぁ」なんて、幼いゆえの一途な心のせいで、苦しいくらい、藤壺のことを想っているのです。

源氏の君、結婚後もなお藤壺の宮を想う・・・。  源氏の君が元服してからは、帝は今までのようには御簾の中に入れてくれません。源氏の君は、管弦の遊びの時などに、琴や笛を一緒に演奏して、その音を重ねあわせたり、時々かすかに聞こえてくる藤壺の宮の声を聞いては、つらい気持ちが慰められる・・・そんなわけで、内裏に寝泊まりする方が、好きなのです。5、6日、内裏に泊まって、左大臣家には2、3日って感じで、とぎれとぎれに帰る、って感じなのだけど(普通は宿直でもなければ、新婚なんだから毎日!)、左大臣も「まぁ、今はまだコドモだから・・・。悪気はないんだろうな」と考えて、変わらずに大切におもてなししています。お仕えする女房たちにしても、葵の上にも、源氏の君にも、その辺にゴロゴロいるような人じゃなくて、ちゃんと選りすぐりの女房たちをつけています。源氏が気に入りそうなパーティーをやったりして、精一杯ごきげんをとるのでした。
 内裏では、もとの桐壺を源氏の君の部屋として使っていて、昔、桐壺の更衣にお仕えしていた女房たちが、辞めないで、今は源氏の君にお仕えしています。桐壺の更衣の実家は、修理職(すりしき)と内匠寮(たくみづかさ)に、帝からの指示があって、またとないくらい立派に改築されました。もともと、植木や築山など、庭園の風景は素晴らしい所だったのだけど、池をもっと広くするための工事が始まって、現場の人たちがにぎやかに作業をしています。
 「こんな所に、好きな人と一緒に住みたいなぁ。」
と、源氏はため息まじりに思うのでした。
 そうそう、「光君」という名前は、ある高麗の人が、源氏の君を褒めたたえてつけた名前だ、って、人々は言い伝えてるみたいです。

 

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